› 沖島んちゅ › 沖島について › 沖島の事~歴史~

2011年03月09日

沖島の事~歴史~

沖島の歴史を紹介したいと思います


琵琶湖は約400万年前くらい前三重県に生まれ、
少しずつ形を変えながら今の場所に落ち着いたのが
約40万年くらい前と言われています。
そして「沖島」は約6万年くらい前にできました。
島には数千年前の縄文時代の遺跡もあり、
狩りをして生きていた時代から人が住んでいたと思われます。
713年頃「藤原不比等」が「奥津島神社」を建てたと言われ、
「沖島」は湖上を行き交う船人から島の神として崇拝され
対岸の北津田町にある大島神社からも礼拝されていたそうです。
実際今も初日の出は宮ヶ浜の方から見え始め、
沖島と宮ヶ浜と大津神社は一直線に並びます。
860年頃になると寺院もでき、
神社を守る人、数名と、僧一名がともに住んでいたようです。

現在の島の人たちの直接の祖先は、
1156~1159年の「保元・平時の乱」という戦いに破れた武士が
漂着して住み着いたことに始まるようです。
七人の姓が「小川」「北」「茶谷」「中村」「西居」「久田」「南」
であったことから、島には今もこの姓の家が多いのです

沖島資料館資料参考




私の家は先祖が改名したため今の名字は
この七つの中ではありませんが
もとは七つの中の名字でした。

小さいときから保元・平時の乱で破れた侍が始まりとゆうのは
何回もきいてきました。侍が祖先!(戦い破れてるけど・・・)

もし侍さんが漂着して住み着かなかったら沖島はどうなっていたのだろう~


先祖がお侍さんなるんですかえる

おもしろいですよね!


沖島に来ていただいたらわかりますが
今でもほとんどのあの七つの名字です


親戚もたくさんいます


 












同じカテゴリー(沖島について)の記事
 新年度 (2011-04-01 16:01)


上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。