
2011年04月01日
新年度
皆様今年一年間もよろしくお願いします

今年の二月から働かせていただいてましたが
今年一年も引き続き働かせていただける事になりましたので
一年間頑張っていきたいと思います

コミセンでの初めての年度末

地元の団体さんに「協力ありがとう、これからも頑張ってください」
と色々な差し入れをいただきました
本当にありがたかったです

頑張ろうと改めて思えました

役員の方々一年間お疲れさまでした。
新しい役員の方たちとの仕事はどんな風かな?と楽しみにしています
あとは沖島の写真をたくさん撮るようにブログに載せるように

とデジカメを新調していただきました

わたくしの風邪(-_-メ)が完璧に治ったら、
沖島を歩きまわりたいと思います

もう桜の季節です
沖島の桜の木にもつぼみがたくさんついていました
沖島にきて桜をみてほしいな~とおもいます
山の上から見降ろすと桜とキラキラ輝く琵琶湖

素敵じゃないですか?♡
日本一の湖を見ながら、日本に一つしかない島で
年に一度の桜を見ながら癒されてほしいです
桜が咲いてきたらお知らせします

ぜひお待ちしております(*^^)v
2011年03月09日
沖島の事~歴史~
沖島の歴史を紹介したいと思います
琵琶湖は約400万年前くらい前三重県に生まれ、
少しずつ形を変えながら今の場所に落ち着いたのが
約40万年くらい前と言われています。
そして「沖島」は約6万年くらい前にできました。
島には数千年前の縄文時代の遺跡もあり、
狩りをして生きていた時代から人が住んでいたと思われます。
713年頃「藤原不比等」が「奥津島神社」を建てたと言われ、
「沖島」は湖上を行き交う船人から島の神として崇拝され
対岸の北津田町にある大島神社からも礼拝されていたそうです。
実際今も初日の出は宮ヶ浜の方から見え始め、
沖島と宮ヶ浜と大津神社は一直線に並びます。
860年頃になると寺院もでき、
神社を守る人、数名と、僧一名がともに住んでいたようです。
現在の島の人たちの直接の祖先は、
1156~1159年の「保元・平時の乱」という戦いに破れた武士が
漂着して住み着いたことに始まるようです。
七人の姓が「小川」「北」「茶谷」「中村」「西居」「久田」「南」
であったことから、島には今もこの姓の家が多いのです
私の家は先祖が改名したため今の名字は
この七つの中ではありませんが
もとは七つの中の名字でした。
小さいときから保元・平時の乱で破れた侍が始まりとゆうのは
何回もきいてきました。侍が祖先!(戦い破れてるけど・・・)
もし侍さんが漂着して住み着かなかったら沖島はどうなっていたのだろう~
先祖がお侍さんなるんです
おもしろいですよね!
沖島に来ていただいたらわかりますが
今でもほとんどのあの七つの名字です
親戚もたくさんいます
琵琶湖は約400万年前くらい前三重県に生まれ、
少しずつ形を変えながら今の場所に落ち着いたのが
約40万年くらい前と言われています。
そして「沖島」は約6万年くらい前にできました。
島には数千年前の縄文時代の遺跡もあり、
狩りをして生きていた時代から人が住んでいたと思われます。
713年頃「藤原不比等」が「奥津島神社」を建てたと言われ、
「沖島」は湖上を行き交う船人から島の神として崇拝され
対岸の北津田町にある大島神社からも礼拝されていたそうです。
実際今も初日の出は宮ヶ浜の方から見え始め、
沖島と宮ヶ浜と大津神社は一直線に並びます。
860年頃になると寺院もでき、
神社を守る人、数名と、僧一名がともに住んでいたようです。
現在の島の人たちの直接の祖先は、
1156~1159年の「保元・平時の乱」という戦いに破れた武士が
漂着して住み着いたことに始まるようです。
七人の姓が「小川」「北」「茶谷」「中村」「西居」「久田」「南」
であったことから、島には今もこの姓の家が多いのです
沖島資料館資料参考
私の家は先祖が改名したため今の名字は
この七つの中ではありませんが
もとは七つの中の名字でした。
小さいときから保元・平時の乱で破れた侍が始まりとゆうのは
何回もきいてきました。侍が祖先!(戦い破れてるけど・・・)
もし侍さんが漂着して住み着かなかったら沖島はどうなっていたのだろう~
先祖がお侍さんなるんです

おもしろいですよね!
沖島に来ていただいたらわかりますが
今でもほとんどのあの七つの名字です
親戚もたくさんいます